閉じる

ニュース

2024/07/01弁理士ブログ

宇治陵

宇治というとまず「宇治茶」を思い浮かべますが、今年は源氏物語の地としての人気が高まっているようです。ただ、華やかな光の君ではなく、やや彼の地に近い宇治十帖の舞台ですので、静かに回るのにふさわしい地のはずですが、近年のツアー客激増ではそうもいかないようです。

平安時代の宇治といえばやはり平等院でしょう。極楽浄土をこの世に置いたものとして、雅な平安朝を感じるためにはまず訪れるべき場所です。鳳凰堂の正面でポケットから10円玉を取り出して見比べるのが習わしです。

藤原氏は自らの魂が向かう極楽浄土を宇治に作りましたが、自らの体も宇治の地に託しました。宇治陵と呼ばれる、宇治市北部に散在している1号墳から37号墳の大小さまざまな墳墓地です。実際には藤原氏よりもずっと前の古墳も含まれているようですが、道長以下多くの摂政関白太政大臣がここに葬られています。

ネット地図で探してみると、そう広い地域に散らばっているようでもなさそうでしたので、先日、思い立って歩いて回ることにしました。京都地下鉄東西線の終点六地蔵で降り、最も北の35号墳から南の方に歩き始めましたが、なかなか時間がかかることが分かりました。距離的には互いにそう離れていないのですが、多くが住宅に囲まれてしまっており、地図にはあるはずなのに、見えません。そして入口が見当たりません。ぐるっと1周回っても見つからず、2巡目にようやく細いあぜ道のような誘導路を見つけ、小さな石碑でそれと分かったところもありました。しかしそこも、墳墓地自体は誘導路の入口からは見えず、10mほど歩いて折れ曲がってからようやく見えました。

南北のほぼ中頃にある1号墳が総遙拝所となっています。前に立っている被葬者札には、テレビに出てくる藤原詮子(一条天皇生母)や藤原彰子(一条天皇中宮)の名があります。また、そこに置かれた「藤原氏塋域」という石碑には冬嗣、基経、時平、兼家、道隆、道長、頼通、師實の名が連ねられています。ネットによると、32号墳が道長の墓らしいのですが、実際に行ってみますと、住宅団地内の小さな子ども公園のような規模で、「望月の欠けたることもなしと思へば」と歌った人の墓とはとても信じられません。

1日で回ることは難しいと思いますが、2,3日に分ければ十分回れるところです。ネットで十分事前準備した上で、散策してみてはいかがでしょうか。

1号墳墓被葬者札.jpg

32号墳墓-道長?.jpg

小林 良平

まずはお気軽にご相談ください。

営業時間: 9:00~18:00 定休日:土日祝

EN